けものみち

まったりと、きのむくままに。

卒論書きながら謝恩会の幹事代表をやってた話

大学4年間を無事に終えて、大学院の生活に浸って2か月。 頭が冷静になった今、あのイベントをいろいろを振り返ってみる。


2019年の夏

研究室に配属されておおよそ4か月たったところで、大学院の入学試験がある。

3年間頑張ってきて積み重ねた成績で戦ったのに、今度は2日間の筆記試験と英語の能力だけでまた椅子取りゲームをしないといけなかったのだが、事前に入念に対策をしていたので椅子を護り抜くことができた。

と、同時に、ここで先輩から一つのお願い事を告げられる。

3月の下旬にある卒業式に合わせて、うちの学科のこのコースの謝恩会というのが開催されていて、その謝恩会の幹事の代表を例年うちの研究室の人がやることになっているのだけれど、引き受けてくれないか、とのこと。

自分の研究室では、大学院進学が確定していたのがぼくしかいなかったので、ほぼ確定で引き受ける感じであった。

え?ちょっとまって、知らないんだけど。

そんな会の話、去年ツイッターで一切見かけなかったんだけど?

しかも、自分が所属している学部学科のこのコースだけ学生が企画して毎年やっている?え?

いろいろ今まで知らなかった事実を突然告げられ、不安を抱えながら大学4回生の後期に突入するのであった。


後期開始

研究は至って順調だった(と思う)。

一方で、謝恩会のことは何もわからないままだった。

先輩から引継ぎされた資料を読みこんだが、どんな会なのか想像はつかない。

ただ、資料を読む限り、相当闇が深そう(?)な会であることは察することができた。

すごくいいホテルで食事している。ビュッフェを用意してもらっているようだ。 会場費もなかなかの金額である。

一人あたりの会費を見たら、ラーメン🍜10回くらいいけるんじゃないか、おいしいフレンチやイタリアン、料亭でごちそうでも食べたほうが良いのではないのかと突っ込みたくなった。

そして、引継ぎ資料から若干読み取れる直前期のやけくそ感。

なかなか面倒そうだ。

幹事代表以外のほかの役職については、代表者である私が同期の学生にお願いしてほかの研究室から各一人ずつその役を選出しなければならない。

自分が何も仕事を把握していないまま、卒論と並行していって、きちんと成功を収められるのか、みんなに負担や迷惑をかけてしまわないかが非常に心配であった。

とはいえ、放置していても何も進まないし、忙しくなる前にさっさと話を進めようと人をかき集めた。


話し合いスタート(2020年11月~12月)

話し合いはかなり大胆な話題を決めるところからスタートさせた。

事前に資料を読み込んで、なかなか学生には負担の大きそうな会だったことと、そもそも謝恩会について、大学4回生の夏に存在を知らされるまで一切何も知らなかったことから、ぼくは最初にこの話題を振った。

「そもそも、この会、伝統だからって続いているみたいだけどやる必要あります?」

伝統だから、と脳死で引き継がれていても、よくないものであればそれは誰かが絶たねばならない。 そして、おそらくこの会は例年先輩方も手に負えずに放置してきたのだろう。

自分たちで変えればいいんじゃね?

なーんて、ゲームの主人公みたいな展開を想像をしていたのだけれど、各研究室の学生に意見を募ってみたら、「例年先生方も楽しみにしていみたいだし、なくしたら相当顰蹙買うと思うよ」という意見や、「4回生が例年企画しているけど、修士を卒業して就職する先輩や博士の方も参加するから、最後にあつまってまとまった感謝の形を伝える機会がなくなってしまうよ」といった声が多かったので、今年も開催することになった。ただし、お金のことやよくない点はちゃんと解決していこうね、という条件付き。

確かに、言われれば感謝の機会を大きな会という形で伝えられる機会なんてなかなかないよな、そこでお金をケチる必要ないな、楽しい会を企画できればこちらとしても楽しめてよさそうだ。 幹事がめんどくさいから会をなくそうという方向で話を進めようとしていたことを少し反省する。


改革(2019年12月~2020年1月)

開催するとはいったものの、例年通り開催していれば絶対に学生からは不満が爆発するスタイルだったのでいろいろ変えていかなければならなかった。

まずお高い会費をどうにかして学生の財布に少しでも負担を減らしてあげられないかを考える。

例年使っている会場を泣く泣く断念し、別のいい感じの会場を押さえた。と同時に、食事についても自分たちで手配することになった。

そして、ここが一番大胆だったのだが、各研究室の学生だけでなく先生にも思い切って謝恩会についての意見を尋ねてみた。

正直今後大学や大学院で自分の名前がこういう形で知られて立場がなくなることを考えたらめちゃくちゃ怖かったが、何名かの先生から回答が得られた。

回答を見るとまず「謝恩会の開催意義について考えてみてもいいかも」「例年先生方もよかったら参加してくださいぐらいの感じ」とあったので、学生側から「例年先生は楽しみにしているらしい」という情報はいったい何だったんだというお気持ちになった。

そして、金銭問題についてはあまりサポートが得られなかったものの、教員の中に謝恩会担当の先生がいるらしく、その先生と連絡が取れるようになり、少し学生と先生が歩み寄れるような形をつくることができた。これは例年やってなかったはずだから、結構大きな進展だったのではないかと思う。

このようにいろいろな学生や教員の方からのサポートもあり、改善案をいろいろ入れまくった新しい謝恩会も何とか形になりそうな感じが見えてきた。


卒論後(2020年2月~3月)

卒論提出、そして発表を終えるといよいよ謝恩会についても不備がないかのチェックや会費の徴収といった作業が出てくる。

幹事のみなさんや学生の皆さんの協力もあってすべてがかなりスムーズに行っていた。

最初は大きな仕事任されて面倒だなと思っていたが、最後にみんなが楽しんでくれれば会として大成功だし企画した方も嬉しいなとだいぶ前向きに考えられるようになっていた。

ある日、謝恩会について連絡を取っていた先生から一通のメールが来た。

「ここ最近、新型コロナウイルスについて報道がありますが、謝恩会についても例外ではないと思います。 状況を注視し判断する必要がありますが、キャンセル料が発生するのはいつごろでしょうか。」

といった内容だった。

そういえば最近やたらよくわからないウイルスの名前が話題になってたな。でも、中国とかで話題になっていて日本でも何人か感染者出たぐらいでそこまで大事になっているようにはまだ見えなかった。

でも、ぼくたち情報系なんだし常に最悪オーダーで見積もりを進めるのが常。 わざわざ先生の方からメールが来たわけだし、そこそこ話題になっているわけなので、ウイルスの情報についてひたすら集め始めた。

幹事の人たちの間でもこれについては議論したが、気にせず開催してもよい派と、世界的に話題になり始めているのだから開催をやめた方がいいのではないかというのが半々。なかなか悩ましかった。

最初は、大学の卒業式の判断に合わせようとしたが、大学の方は無能だとわかっていたので当然ギリギリまで結論を出そうとしない。ぼくらが押さえていた会場のキャンセル料がかかる方が早かったため、ぼくらたった10人程度で判断をくださなければならなかった。

3月の上旬ごろ、ぼくらで出した結論は「謝恩会の不開催」だった。

11月末ぐらいから時間かけていろいろ改善もして、参加する学生からもお金を徴収したけれど、世界的な非常事態であることや、万が一クラスター感染が起きた場合に学生側が果たして責任を取ることができるのか、大学名が晒されて自分たちの社会的立場がなくなることもあるのではないかと、総合的に判断した結果がこれだった。

正直かなり心苦しい判断だった。

指導教員に感謝を伝えたい学生もきっといただろうし、就職してそれぞれの道を歩む前に友達と談笑する最後の機会だとみていた人もいるだろう。自分たちも参加してくれる人皆に楽しんでもらえる会にしたかったし、そのために入念に準備をしてきた。簡単に引き下がるわけにはいかなかった。


その後(3月中旬以降)

謝恩会は開催しないという結論になったため、まず先生に連絡をしたところ承諾が得られた。

そして、引っ越しをする人もいるので、すばやく返金手続きをすることになった。 幸い、キャンセル料がかかる前に判断をしたため、全額返金することができた。

あのウイルスはどうだったかというと、ぼくらの悪い予想が見事に当たって、国内でも流行が目立つようになり、観光客でごった返していた京都の町も、人が嘘のようにいなくなってしまった。そして4月に入るとそもそも外出を自粛するように要請されることとなった。

現在は、テレワークだのオンライン授業だの今までにないスタイルの生活を行っている。


振り返って

最初はただの面倒ごとだと思っていた謝恩会の幹事も、コロナウイルスに振り回されて思わぬ方向に行ってしまったが、不開催にした判断は間違ってはいなかったとは思う。もし開催していたらどうなっていたかはわからない。

思い出せば3月中旬ごろのツイッターは「なんでもかんでも自粛自粛なんてしたらもたない」というツイートも見られていたが、やはりイベントの主催者となると見方が変わってくる。自分も参加するだけの側だったら小規模なイベントまで自粛なんてしなくても、と意見していただろう。今となっては一つ大きな経験となったので良かったのではないかと前向きにとらえている。