けものみち

まったりと、きのむくままに。

タイピング関連の学術研究とタイピングの展望

adventar.org

この記事は、タイパー Advent Calender 2020 の24日目の記事になります。

前日:

typerinterview.hatenablog.com


今回の記事は、わたしが大学院生ということもあり、タッチタイピングに関連した研究、論文等を調査してみて紹介しつつ、所感を述べるという記事です。

調査のきっかけ

ある日の午前3時にシャワーを浴びながら、ふと、タイピングに関する研究、どれくらい世の中にあるんだろう、とか、自分も独自のタイピング上達論を掲げているけど、もしかしたら世の中にはもっと知見や経験則、統計的データの蓄積が存在しているのではないか、と思い執筆に至りました。

注意

この記事の筆者は、執筆当時、大学院生(修士課程)であり、この記事を書く際にも、Google Scholar などで論文を探しました。 touch typing に関する研究を調査したところ、被引用数が3桁~4桁と非常に有用な論文があるのにもかかわらず、学生権限で無料で読めるような論文が案外見当たりませんでした。アドベントカレンダーの記事の作成においては、期限内に公開できることや、わかりやすさなどを重視したため、一部データや実験内容が古いものも含まれています。

今回はローマ字タイピング(日本語)に焦点を当て、かな打ちや英文タイピング、テンキーなどは今回の記事の考察の対象外としています。 また、ローマ字練習の性質上、英語論文ではなく、日本語論文を探した方がいいかと思って、論文は日本語のものを対象としました。

また、筆者はコンピュータサイエンス系の専門であり、心理学や教育学の専門家ではありません。 よって、この記事で述べたことには誤謬が含まれているかもしれません。

参考文献は挙げていますが、参考文献の提示や引用が多少(研究論文のフォーマットに対して)インフォーマルな書き方となっています。こちらについてもご了承ください。

本題1: 初速、レイテンシ、反応時間

参考文献:

bsd.neuroinf.jp

e-typing 形式のスコアの付け方では、初めの1キー目を素早く反応することも一つスコアを上げるテクニックとして重要なのではないかと考えられます。以下では、画面に文章が表示されてから、初めの(正しい)1キー目を押すまでにかかるまでの時間を「反応時間」と呼ぶことにします。

具体的に自分の反応時間がどれくらいであるかをしっかり認識している方はどれくらいいるでしょうか。

f:id:WhiteFox-Lugh:20201224084356p:plain

上記のスクリーンショットは、e-typing において Google 拡張機能である「e-typing plus」を用いて、自分の反応時間を測定した一例です。 スクリーンショットの Latency の部分が反応時間となります。自分の場合、複数回測定したところ 0.38~0.55 秒のレンジにほとんどおさまっていました。

では、この反応時間は短い方なのかどうか、あるいはどこまで短くできるのかなどについて考察していきましょう。

認知関連の研究では、単純反応時間に関する実験があります。

例えば、音が聞こえたら素早くボタンを押す、ランプが光ったら素早くボタンを押す、といったような実験を行って、被験者の反応時間を見ています。

視覚または聴覚に対するボタン押しでは、一般的な反応時間は 150ms ~ 300ms という実験データが得られているそうです。

次に、個人の反応時間の分布に着目してみてみます。参考文献に詳しく分布の図が載っているのですが、反応時間の短さには限界点がある一方で、極めて遅い反応も稀に見られるようです。また、反応時間が短い方に偏り、正規分布ないし対数正規分布、または ex-Gaussian 分布を仮定できそうです。したがってこのような分布に従うと考えるのならば、意識して限界まで短くした反応時間よりも50ms~200ms 程度少し遅い時間に多く分布しそうです。数学的なことわかんないよ~っていう人に言うなら、だいたいこの辺の反応時間(例えば 400ms~500ms)が多いんだけど、たまにぼけっとしてて長くなる(例えば 800ms)こともあるよ~みたいなイメージでいいです。

一方、反応時間を短くしようとするとミスが生じる可能性も上がっていくと考えられます。例えば赤、青のボタン二つがあって、画面に「赤」「青」のどちらかが表示されたら対応されたボタンを押す、という実験で画面に「赤」と表示されたのに急いだあまり青いボタンを押してしまう、というようなミスが考えられます。

参考文献では「速さと正確さのトレードオフとして取り上げられており、反応時間  RT は定数  a, b と正解率  P(C)、誤答率  P(E) を用いて、

 RT = a + b \log \frac{P(C)}{P(E)}

という関係で表せるようです。数式見るとまあ確かに直感的にそうかなとも感じますが、 要するに、正確さを求めると反応時間は長くなり、正確さを犠牲にすると反応時間が短くなるということを端的に表しています。

また、参考文献における、Hick-Hyman の法則を見てみましょう。

まず、反応時間は選択肢が多いほど長くなるということが挙げられています。直感的にもそうですね。例えば、画面に「ボタンを押せ」と表示されたらなるべく素早く押すタスクよりも、画面に「赤、青、緑、黄、橙」の5種類の文字のいずれかが表示されるので、その色に対応したボタンを素早く押してください、と言われたほうが反応時間が長くなりそうな気がしますね。 選択肢が増えると、それだけ反応時間も限界まで短くできるところから遠ざかることが言えそうです。 数式が読める人に向けて言えば、選択肢の数に対し  \log のオーダーで平均反応時間が増加していくとのことです。

さらに、出現確率の低い刺激に対しては反応が遅くなる傾向があるそうです。これはどういうことかというと、先頭の文字がよく出てくる文字(例えば あ(a)、か(k)など)よりも、あまり出てこない文字(例えば ぽ(p)、ヴァイオリンのヴ(v)など)の方が反応が遅くなるということです。

ここまでの反応時間についての考察を整理すると、

  • (単一のボタンを素早く押す実験で)反応時間は 150ms~300ms
  • 選択肢の数を増やすとそれだけ反応時間が長くなる
  • よく出てくる文字は素早く反応できるが、めったに出てこない文字は遅くなりがち
  • だいたい反応時間は一定の範囲に収まるけど、ばらつきがあって、短くするのは限界があるし、たまにめちゃくちゃ遅くなることもある
  • 一方で、短くしようと努力するとミスする確率もあがる

となります。

タイピングについて当てはめて考えてみます。 さきほどの実験データは、あくまでも単一の刺激に対して単一のボタンを押す課題によって得られています。よって、キーボードに対して反応するほうが課題の難易度は高いと考えられますし、それだけ時間がかかりそうです。 逆に言えば、300ms あたりがタイピングでの反応時間の限界ともいえるでしょう。

タイピングが最初の一文字をできるだけ早く反応するゲームではなく、短文全体をしっかりミスなく素早く打ち切ることを考えると、 限界まで反応時間を短くすることを考えないほうがよいと考えられます。また、自分がミスをしない、かつ後ろの文章の認識に影響を与えない程度に反応時間を短くすることが、e-typing などでのスコアを上げるポイントになると考えられます。もっと高度なことを考えると、ワードセットごとにワードの最初の文字を、かるたの「決まり字」のように暗記をしたり、先頭の文字が何であるかの分布を見ておくのもおもしろいかもしれませんね。

本題2: 練習量を増やすことは上達につながるか?

参考文献1: "短期大学生におけるタイピング練習に関する研究"

https://hokurikugakuin.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=991&item_no=1&attribute_id=22&file_no=1

上記の参考文献1では、学生を対象に e-typing の練習記録をとってデータ分析を行っています。

ひとつ、面白いのが、4章で仮説「練習量が多いとレベル(e-typingでの成績)が高くなる(正の相関がある)」と立てているのですが、実際にデータを取ってみると、「練習量が多いからといってタイピングの上達に直接影響を与えているとは言えない」「タイピングのスコアが伸びた学生も、伸びていない学生も練習量の多寡がタイピング能力上達に大きく影響を与えている、とは必ずしも言えない」という結論になっています。気を付けてほしいのは、得られたデータの分析では仮説が棄却されただけで、練習量を増やしても意味がない、ということではありません。違う学生集団、社会人やあるいは小学生、中学生などをサンプルしたら結果が変わる可能性はありますし、サンプル数(被験者人数)を増やしたりすると真逆の結果が得られる可能性もあります(この論文では、サンプル数106、相関係数0.319、p値0.99は書かれています)。また、タイパーと異なって授業を履修している学生に被験者になってもらっているという性質がある以上、タイピングに対してモチベーションが高い学生ばかりではないことも考えておく必要があると思います。

いずれにせよ、この参考論文一つだけを見て、練習量が多くても意味ないのか、と凹む必要はありません。 特に、タイピングはじめたての人は、まず練習量をこなして慣れることの方が重要ですし、成長のどの段階にあるかによって練習量も変えていく必要があると感じます。

ただし、言えることは、むやみに無理して「一日何時間もごり押しで練習してやる!」「練習量にはだれにも負けないほど練習してやる!」と意気込むことは必ずしも得策であるとはいえないということです。一日何時間も地道に練習するタイプの人もいれば、数日に一回少しだけ練習する、気が向いた時だけ練習するタイプの人もいるでしょう。実は、筆者も伸びしろがすごかった小中学生時代の時でさえ、週1回最大30分程度のタイピング練習でした。それでも練習内容の工夫などで大会で上位入賞を続けられる実力はつきました。ある意味外れ値かもしれませんが...。

他人が練習してないように見えても、実はその人が自分自身はそういうスタイルだってわかってあえてそうしているのかもしれないことや、いわゆる放置効果みたいなのを期待している人もいるかもしれないということを頭の片隅に入れておき、自分の練習スタイルを他人に押し付けず、自分に無理のないペースで練習をしましょう、ということです。なんか、結局、言われれば当たり前のような結論になっているかもしれません...。勉強に置き換えるとわかりやすいかもしれませんね。一日何十時間勉強しても、予備校や塾にいっても全く身にならない人もいれば、授業だけで大半理解して、復習も短い時間で効率よい勉強をする人もいますよね。

余談ですが、わたしはよくツイッターでゲームをしたり大学の話題をしたり、ケモノの話をしたりと、あまりタイピングの話題を集中的にしないので、タイピング関連でフォローしてきた人にいつの間にかフォロー外されていることがよくあります。ツイッターの他人の使い方について特にどうこう言うつもりではないのですが、タイパー全員が、いつもタイピング熱心に練習風景を発信している人ばかりじゃないよ、とは言いたいですね。 自分にとってすぐに役立つ情報を流してくれる人ばかりがツイッターにいるわけではないですし、全然違う話題が流れてくるのもある意味その人の違った側面を見ることができてぼくは面白いと思います。

本題3: タイパー以外の学生のタイピング能力

コンピュータがわたしたち一般人に広く普及してもう何十年も経とうとしています。 現在では、小学校からプログラミング教育、コンピュータを用いた教育がなされており、小さいころからコンピュータに触れてきたという人も多いでしょう。大学生にもなれば、レポートや論文をコンピュータを用いて執筆する機会も多いですし、社会人になっても文書作成、プレゼンなど幅広い用途でキーボードに触れることとなります。タイピングはある意味リテラシーの一つであると言えます。

では、大学生のタイピング能力の現状をみてみましょう。参考文献は以下です。2013年度、2014年度など、多少古いデータですが、なかなかタイピングの記録をとって論文にしているものが見当たらなかったです。

https://gakkai.univcoop.or.jp/pcc/2014/papers/pdf/pcc015.pdf

まず、アンケート結果を見るに、タイピングは得意かどうかについての自己評価設問では、半々にわかれているようです。

次に、e-typing のスコアについてみてみると、入学直後の e-typing (腕試し、ローマ字だと思われる)のスコアを見てみると、40pts~140pts に多く分布し、80pts あたりをピークとする対数正規分布のような形になっていることがわかります。e-typing のスコアはKPM(Key Per Minute, e-typing での表記はWPMとなっているが実態はKPM)で換算しますから、おおよそ一分間に80~100打鍵程度の人が多いということです。ローマ字が一文字打つのに1~3打鍵かかることを考えると、これは手書きと同等速度もしくはそれより遅いタイピング速度であることが言えそうです。つまり、レポートや論文等、何かとコンピュータを使って文書を作成する機会が多いのにもかかわらず、手書きで書くよりコンピュータに打ち込む方が時間がかかったり効率が悪かったりする人が多い、ということが考えられます。

気を付けてほしいのは、その科目を履修している学生からとったデータであることです。もちろん、普段からプログラミングやテックブログを書いている情報系の学生をサンプルとしてとれば、もっと高い水準の結果が得られる可能性はあります。また、この論文自体、数年前のものなので、改めてサンプルしてみると結果が変わっているかもしれません。

ですが、それを考慮しても、大学生になっても(タッチ)タイピングの習得がなっておらず、手書きよりも文書作成に時間がかかる人が非常に多いというのはいかがなものでしょう。どうして、ここまで身近にコンピュータが普及していて、キーボードに触れる機会もあるのに、タッチタイピングの習得に個人差があったり、文書作成、仕事、学業に支障をきたすほど苦手意識が植えつけられたりする人がいるのか、一度考え直してみる必要がありそうです。

タイピストタイパーのわたしたちができることとしては、タイピングの面白さを伝えることでありますが、他にも、ペンで文字が書ける、教科書の文字が読めるといったのと同じように、コンピュータを利用することを通して、正しくタイピングの能力が習得できるような学習方法や理論を整備していくことも重要なのではないでしょうか。タイピングが何十年も歴史を紡いできた中で、スポーツの筋トレや練習メニューのように体系立てられた練習方法や理論が確立されていないのは、タイピストタイパーとしては危惧すべきことなのではないでしょうか。

スマートフォンの普及で、キーボードから離れてしまう人も増え、ますますタイピングに苦手意識を持つ人が増えていく可能性もあるかもしれません。しかし、残り数十年ほどでタイピングを全くしなくてもいいような新しい入力技術が普及することは想定しにくいと思います。 正しい、そして楽しい練習方法をしっかり整備し世の中に広めていくことが、わたし含め、タイピストタイパーのある意味使命かもしれないですね。

むすび

昨今では、SNS等交流も気軽に行えるようになりましたし、気軽にタイピングの練習を発信することができるようになりました。 タイパーどうしだけで閉じたコミュニティを形成するのではなく、もっと趣味でのつながり、例えばゲームや運動関連、アニメ、漫画、映画、旅行、コスメ何をとってもいいですが、そういったところからつながりを増やし、タイピングの面白さをいろいろな人に広めていくことも大切かと思われます。最近はテレビ取材等で、メディア露出することも増えましたし、e-sports としての認識も徐々に浸透してきており、タイピング界隈には遅すぎる追い風が吹いてきていると思います。

タイピングの面白さを広めるためには、まずタイピングに関して熱意も経験もあるタイピストタイパーたちが経験や知識を共有し、ただ単純な個人の経験によるのではない、タイピング練習に関する理論や方法をしっかり整備していくことが大切そうです。よく、小学生の時に、「成績は学習時間に比例する」などという精神論も言われたことがあるかと思いますが、この記事で書いた通り、タイピングでもそのようなことを全員に脳死で適用してはいけないです。熱心すぎるがゆえに、その人に合わない練習スタイルを知らずのうちに強要してしまう可能性もタイピストタイパーたちは潜在的に持っています。だから、どこかで書籍なり、wiki なり、知識や経験の蓄積を言語化したものをまとめあげ、正しい練習方法を広めることや、タイピストタイパーコミュニティで共通認識を持つことが一つ課題かなと思います。

そして、メディア露出やSNSの普及などの追い風に乗って、世の中の人が少しでも「タイピング楽しいじゃん」と思ってくれる人であふれるように、わたしたちが積極的に発信していけるようにすることが、タイピング界隈の将来を明るくするものだと筆者は感じます。リテラシーとして身に着けてほしいという思いもありながら、ゲームでもあり、e-sports でもあるタイピングを、キーボード一つでできる奥深くていろいろな顔を持つおもしろいものだとたくさんの人に思ってもらえるように、わたしもゆっくりと精進していきます。

明日はいよいよトリでございます。トリなのですが、執筆時点ではだれもエントリーしておりません(っºΔºc)

わたしは、この記事を書くにあたり、かなり真剣に考えて書いたので、燃え尽きておりますので、ほかの人にお任せです。

それでは。